金なしじいさんのアーリーギブアップ生活

40前後でアーリーギブアップ生活を送る老後の日記

若い頃に頑張れば良かったか?

どうもおはようございます。ご自由にどうぞ。

 

10代半ばから20代前半の頃に猛勉強して大企業に入社するなり、国家公務員になるなり、はたまたそれを足掛かりにして起業していればと妄想することがたまにあります。

 

ですが、どうしてもそのルートに乗っかれないと気付いてしまうのです。なぜならば、生まれた時から無気力で自己肯定感が低かったからです。

以前の記事で生まれるのが予定日よりも遅くて、実は相当生まれてきたくなかったのではないか?と書いたと思いますが、今思い起こしてもそれはまんざら間違いでないのかもしれません。本当に精子間の競争で燃え尽きてしまったのでしょう。

 

その後の過程においても自分から何かをするような子どもでなく、所謂大人しい子どもでした。幼稚園とか小学生とかだとそこまで批判はされませんが、大人になると単なる主体性のないクズと見なされるだけでしょう。

 

そういった劣等生として育ってきたのですが、マトモな感性の持ち主ならば「勉強しまくって東大に入って見返してやる!」とか「格闘技を習ってナメられないようにする!」といった風に人生の立て直しに入るのでしょうが、オレの場合は「人と違うことをやって見返してやる!」でした。

 

今思うと大変痛いことをやっていたと思います。いや、人と違うことをやるというのはある意味正しいのだと思います。発明家になるとか、ベンチャー企業を立ち上げるとかになるとそういった素質が求められますし。

 

ただ、当時10代だったオレはプチ不良行為をやってしまいました。詳細は言えないのですが、ヤンキーの真似事をしてみたりとかそんな感じで。タイムマシンがあれば木刀で過去のオレをぶっ叩いてやりたいです。

 

じゃあ過去に戻れたらリア充を目指して猛勉強をするかと問われますと、答えはノーです。理由は前述の通り自己肯定感が低いのと、何よりも早いうちに好きなことをやって人生を終わりにしたかった刹那享楽主義だったからです。

 

そんな刹那享楽主義の持ち主にも関わらず、変に普通になろうとしたり中途半端に迎合しようとして延命した結果が今のザマです。

そう思うともっと好き勝手やってればよかったなあと後悔しています。そこのところは頑張っておくべきでした。

 

なので本来ならば20代くらいで終わる人生だったのでしょう。それを周りに流されて騙されて、自分の本質を忘れてしまって今に至るのは悔しいですが自己責任です。

 

若い頃は痛いことをやったり今以上の迷惑をかけていましたが、あの頃の感性や人生観自体は間違っていなかったのだと思います。少なくともオレの中だけでは。