金なしじいさんの短い老後生活

40近くで老後生活を決意した男の日記

ブログを休止します。

どうもおはようございます。ご自由にどうぞ。

 

このくだりで始まるのは久し振りですね。今回は重い内容ではありませんのでこのようにさせて頂きました。

 

私事で申し訳ありませんが、当ブログ及びtwitterを休止致します。

 

理由としましては、開設当初は他の人達よりもちょっと早い、年金のない老後生活のブログを目的にしておりましたが、実際のところは老後生活とは程遠い低賃金の労働者であり、ブログタイトルとのギャップがあまりにもかけ離れすぎているので、このまま続けるのも如何なものかと判断したからです。

 

そして、もう一つの理由が同じ内容を繰り返し主張していて変化がない点です。オレは労働観においては優秀な人間か、意欲のある人間のみが働くべきだと思っていますし、人生観におきましては生きたい人間が生きるのが自然体であり健康的であると強く信じております。

ですが、そういうったことを連日言葉を変えては主張し続けることにマンネリ化を覚えましたし、何よりもそれに向けた具体的な行動が取れてないことにストレスを感じたからです。それで愚痴や憎しみが増大してブログやtwitterに現れていくようにもなっていきました。

因みに主張に関しては今も変わっておりませんし、むしろ強化されたと言ってもいいくらいです。

 

一番大きいのは子ども部屋おじいさんであることなのでしょうね。いつまでたっても生活の主導権を握れないので思うような行動ができないのです。

 

今後どういう形になっていくのかはわかりませんが、本当の意味で老後生活を送って、改めて「金なしじいさんの短い老後生活」として発信できるように努めていきたいと思います。

 

今まで本当に暗くて重い内容でありましたが、オレは記事を書いたことに関しては後悔しておりませんし、各々方の望む将来になればそれでいいと思っております。

そして、閲覧して下さった方々、本当にありがとうございました。オレの寿命は金銭的にも長くはないですが、できればまた戻ってきたいと思います。

 

さらばじゃ!!

【閲覧注意】無職・ひきこもりの人でも本人が望むのならば…

おはようございます。今回も重い内容になりますので自己責任の上、お気をつけてお読みください。

 

 

munenkinjiisan.hatenablog.com

 

 

YAHOOニュース等でも無職・ひきこもりの8050問題が大きく取りざたされていて、もしも老いた親が亡くなったらどうするかという問題に関して議論されています。

 

これに関してのオレの答えは、生きたいのであれば生活保護の受給や就労の道を早期に模索し、逆に生存を放棄するのであれば親の死と同時にお迎えがきたと運命を受け入れることもアリだということです。

 

生存派の方々は親が存命の有無に関わらず、福祉を受けられるような準備や就労に向けた行動を早急にしなければなりません。お金というものはあっという間に溶けていきますし、お金がなくなるほど行動力や思考力が落ちていくものです。気付いたら警察のお世話になっているということも十分に考えられます。流石に刑務所に行ってまで生存の道をとることはオススメできませんし。

 

逆に生存放棄を選んでいる方々に関しては最早何も言えません。何年も前から覚悟を決めておられる人もいるでしょうし、そうなったら「よくぞ長い間頑張ってこられましたね」と労いの言葉もかけたくなります。

オレ自身がその立場と同等にいるということもありますが、本人が望むのであればできる限り要望に応えさせてあげられればいいと思います。

オレ個人の考えとしましては、40歳以上の無職・ひきこもりの人達は希望者に限って障害者認定して、福祉を受けられたり、安楽死の対象にしてあげればいいと思いますがそれは叶わぬ夢でしょう。

 

実際に無職・ひきこもりの自殺率は高いと聞いたことがあります。厚生労働省の自殺対策白書を閲覧してみると、やはり無職の人の自殺者数は多く、特に20代、30代の死亡率ではトップクラスです。ネット上で無職やひきこもりといった生き辛さを抱えている人達を沢山見ていて、何だかんだいってみんな生きてるなという印象が強いですが、やはりこの世から退場される方は結構おられるみたいです。本当に悩んでいる方々は本心をネット上で明かさなかったり、ネットでの情報発信自体を止めているケースが多いのでしょう。無論、死にたいと周囲に言いふらしている人達の中にも本当に亡くなられるケースもありますが。

 

現在一応ながら働いているオレですらあっぷあっぷ状態なのに、大半が無収入で貯金もあまりない彼らがこの先生き残る可能性は低いと思います。頑張って働こうとしても低賃金で遠くない内に力尽きるか、能力不足で職場から放出されたりするケースが高いと踏んでいます。そんな下手な悪あがきをするぐらいならば、お金の許す限りひきこもって運命を迎える方がコスパがいいとすら思えてしまいます。

 

以上、残酷かつ生存放棄寄りの意見となってしまいましたが、これが拭いきれない現実であると思います。生存派の人達の為にもセーフティーネットが生き残ってほしいものです。

オレ自身は何もすることはできませんが、生きたい人は生き、そうでない人はそれもよしとした方がいいかと思います。少なくとも絶対に生き抜かなければならないという固定観念を押し付けるのだけは止めて頂きたいです。これこそ苦しんでいる人達を更に地獄に突き落とすだけですので。

 

最後に一言だけ言わせてください。

 

「皆様お疲れさまでした。この先は貴方達のFAですよ。」

 

腐ってしまったのに

どうもお久しぶりです。少し思うこともあってこちらのブログを休止しようと思いましたが、また書きます。過去と同じ内容になってしまいますがご了承を。

 

今も変わらないと言われるでしょうが、かつて働いていた会社の時のオレは既に腐っていました。仕事ができないというのもありましたが、それ以上にやる気が皆無でしたし、何よりも仕事を覚えようとしたり改善しようという気持ちがゼロでした。

何よりも、「何でオレがいなくちゃいけないんだ!?」、「とっととオレなんてクビにして他の人間を引っ張ってこいよ!!」という気持ちが強く、常にその考えに支配されていました。何でこんな状態なのに辞めなかったんだ?という話になりますよね。

 

これだけ嫌々で仕方なく職場に行っているだけなのに、何で辞めて別の道に進もうとしなかったのかと言いますと、親の目と圧倒的な自己肯定感の低さです。

以前の記事でも書かせて頂きましたが、とにかく3年間は続けろ、正社員じゃなくちゃダメだ、ということを毎日ではなかったですが、数えきれない程言われ続けてきました。一見正論の様に見えますが、これはあくまでも自発的に仕事に向き合えることが大前提です。嫌々やらせていても成長はほぼゼロですし、単なる罰ゲームでしかありません。

こんな洗脳の言葉を何度も聞かされ続けていたらそりゃあ辞めることなんて考えられませんよ。

本当はもう社会ではやっていけないのに、また正社員として復帰させようとした親に関しては今でも理解不能です。やはり世間体とかメンツとかなんでしょうね。

 

自己肯定感の低さに関しても以前書いたと思いますが、とにかく今の仕事を辞めたとしても次の職場で通用するはずがないという確固たる思いが強かったです。今もそれは単なる思い込みでなく、能力的な面を考慮すると間違いはないと思いますが。

それでも、若い頃にもう少し職を転々としてみても良かったと思います。せいぜい1年くらい働いてからまた転職みたいな感じで。

 

まあいずれにせよ、やる気をなくした腐った状態に陥ってしまったら、誰かが手を差し伸べたとしてもあまり効果はないでしょう。最終的に支援した側も呆れてしまって、支援された側も裏切られたような気持になってしまいますし。あくまでもオレの経験ですが。

 

もう頑張ることができない、前向きに努力する気がない、腐ってしまったと感じたら、自ら去る。これが腐った者の最低限のマナーであると思います。

そして、腐った人間に対して「お前はまだ頑張れる。頑張れ頑張れ」という風に叱咤激励しても逆効果であることも伝えたいです。最終的に双方ともに不幸になりますので。

せめて「お前はもうダメなんだから好きにしていてくれ」と切り捨てられた方が自由になれますし、腐った人間側としてもやりやすいのです。

 

そうやって放任された腐った人間は大抵は短い生涯となるのでしょうが、低確率で自己と向き合って立ち直ることもあるかもしれません。

勉強もできなかったが、スポーツはさらに壊滅的だった

どうもおはようございます。

 

オレは昔から運動が苦手です。勉強も数学を筆頭に苦手でできませんが、それ以上に壊滅的だったのがスポーツ全般でした。特に顕著だったのは球技ですかね。今でも卓球は全くできませんし、ドッジボールなんて相手の投げたボールを取れたのは数回あるかないかくらいですし。

 

これが小学生からダメだとその後の人生は高確率で詰むというのは頷けますね。無論その後に猛練習して克服する人もおられますが、オレからすればただでさえ学校へ行くだけでも苦痛なのにさらに苦行を課すなんて想像もできません。それに苦手を克服しても得意な人に勝てる可能性も低いから非効率的だと考えている方ですので。

 

もうこれは暴論であり非難殺到されることですが、幼少期に運動等が壊滅的だったら障害者認定するなり、健常者と同じ扱いにするのは止めて頂きたいです。そんなことをしたら国や自治体の予算がパンクしてしまいますし、たちまち障害者だらけになって福祉が立ち回らなくなってしまいますので絶対に実現はしませんが。

 

それでも無理矢理普通の人達と混ぜてしまうのはいじめとかが発生したり、チームの調和が乱れる可能性が高いので止めた方がいいと思いますけどね。一人のギリギリ健常者なりいじめられっ子を無理矢理置いておくことで秩序を保つという考えは言語道断ですが。

 

それにも関わらず苦手を克服!という風潮が学校から会社まで声高々に主張されている世の中には吐き気がしますけどね。効率化が謳われている割には結局は感情論には勝てないということなのでしょうか。

 

なのでオレはスポーツは基本観る専門です。

まあ強いて言えば、ショッピングセンター徘徊、市中徘徊とかでしょうか。決してやわしいことは考えておりませんし、法律の範囲内のことしかしておりませんのでご理解を笑

これって一人でしかできませんし、無駄に歩き回るわけですから結構疲れるんですよ。

スポーツが嫌いになっても(特に学校での体育)よいですが、こうした運動自体は止めてはいかんと思うのですよ。体を動かすという行為自体は精神的にもいいはずですので。

コロナ後の世界は?

どうもおはようございます。ご自由にどうぞ。

 

アメリカとかはワクチン接種が進んでコロナが終息に向かっていますね。大リーグの試合も対策を講じた上で100%収容するところもあるみたいですし。

ワクチン接種が進んでいるのは羨ましいと思うのですが、あれだけ多くの死者を出したのだからああいったところにワクチンが優先的に回るのは仕方がないと思います。自国でワクチン開発できるのはやはり羨ましいですけど。

まあインドやブラジルが未だに酷い状態なので全世界的にコロナが収まるのはまだまだ時間がかかるでしょう。日本もそうですが。

 

ところで、コロナ後の世界って一体どんなものなんでしょうか?2019年頃のような旅行や娯楽がある程度復活したものなのでしょうか?ある程度は復活するのかもしれませんが、あの頃のような好景気は絶対にないでしょう。2009年頃のリーマンショックを上回る大不況がセットになっての非常に生き辛い世の中が予想されます。

 

2019年の時でも個人的にはキツくて先がないなと痛感していたのに、あれを上回る厄災の世界なんて想像しただけで戦意喪失です。それにコロナに対応できるようになっても、我が国には大地震や大噴火等の自然の驚異があり、それだけでもリスクです。現在のコロナ過に東日本大震災級がこないのが不思議なくらいです。

まだ若かったり能力があったりバイタリティがある人にとってはチャンスがあるのでしょうが、高齢者のオレには無理があります。

 

コロナ後といってもゼロコロナにはできないと思っております。皆様もご存じの通りコロナウィルスは次々に変異しており、いつかはインフルエンザと同じ扱いにしないとやってられないはずです。現在の感染症対策のままで経済を回せるとは到底考えられませんし、経済を回せると主張するのであればご教授願いたいです。

なので厳密にはいい意味でのウィズコロナになるのでしょう。

 

オレの欲としましてはもう一度海外に行ってその風景を目に焼き付けておきたかったです。それを考えると下手に普通に働かずに放浪貧乏旅行を存分にやっておけばよかったとつくづく後悔しています。今後は気軽に海外に行ける時代なんてやってこないでしょうし。

 

いずれにせよオレはコロナ後の世界は見れないでしょうし、潮時だと思っています。

オレの代わりに存分に見て堪能して頂きたいです。

弱者グループからの卒業

どうもおはようございます。ご自由にどうぞ。

 

ネットの世界では弱者のグループというものが存在します。例えばギリギリ健常者だったり、無職・ニート・ひきこもりだったり、毒親育ちであったりと様々です。

 

そうした人達をフォローしたり読者登録して意見交換を重ねていくと同志ができたようになって「自分だけじゃないんだな」と安心感が生まれます。

ですがそれらを2年、3年と続けていくと仲間が次々と欠けていきます。単にネットが飽きたというのもあるのかもしれませんが、彼らの中には「これ以上傷の舐め合いをしても何の解決に繋がらない。だから前向きに生きる!」と決意して弱者のグループを離れた人達も少なくないでしょう。

これが弱者グループからの卒業です。そうして残ったのは自分だけという風になっていて究極の孤独を迎える羽目に陥るのです。

 

普通に考えたらそうなるのが自然なのはわかるはずなんですけどね。いくら生き辛さを抱えていたり傷を負っていたとしてもまだ自分の人生に価値はある!と信じている人達が殆どなのでいつかは卒業するのは目に見えているはずなのに。

それを勝手に終生の友人として捉えるのは間違いですし、あくまでも近い考えを持った人間として捉えるべきです。

 

オレは弱者の中でも飛び抜けたというか別の次元にまでいってしまった身分ですので、弱者グループの卒業云々というレベルではありません。なので弱者グループに入れ込む気もありませんし、普通の人達の仲間入りを果たすことも叶いません。

 

一時の同志を見守る存在として孤独を受け入れる感じでいいと今は思っています。

 

資産〇〇〇〇万円の人達

どうも夜分遅くにすみません。

 

ブログでもSNSでも総資産が〇〇〇〇万円ありますと高々に主張されておられる方々がおられますね。そういうのを見ると実はプロ野球選手や人気芸能人よりもお金を持っているのでは?と思わされてしまいますし、日本が貧困化しているのはフェイクじゃないかと錯覚します。

実際のところは彼らは少数派であると思いますし、何よりも彼らの資産額が本当にその通りなのかを確かめる術もございません。本当は見栄を張っているだけなのか、はたまた〇億円の資産があるのかはオレ如きでは理解しかねます。

 

断っておきますが、オレ自身はどちらかというと拝金主義者です。何だかんだ言ってお金があった方が有利ですし、幸福になる可能性が高いからです。そういう意味では彼らと意見が合うのかもしれませんが。

 

ただ、彼らと相容れない点があるとすれば「自分もお金を貯めたのだから皆も頑張ってお金を貯めよう!!」と煽っているところです。資産家全てに言えることではないですけど。

いやいやそうじゃないでしょ?貴方達が節約や仕事や金融投資で頑張ったのは認めますし評価に値しますよ。

でもね、世の中にはその発想にすら至らない人間も一定数いるのですよ。そこまで至らなかったのは幸運であり、恵まれている証でもあるのです。そこのところは理解した方がオレはいいと思います。まあオレが言ったところで100%聞く耳持たずでしょうが笑

 

ただ、彼らがああやって資産額をある程度誇示する気持ちもわからないでもないです。

それは承認欲求です。彼らも過去にいじめや虐待、パワハラ等の不幸があったのかもしれません。そしてその不幸な過去を振り払うために努力して頑張って、ようやく大衆レベルで認められる大金という最強の武器を手に入れたのですから振りかざしたくなる気持ちになるのでしょう。

 

とてつもなくひねくれたことを言わせて頂くと、彼らにとってオレのような金なしは必要なのかもしれません。それは見下し役という精神安定剤として。仮にオレみたいな怠け者の貧乏人が絶滅したら、彼ら自身が底辺に陥ってしまって本物の大富豪達にいびられたりしてしまうでしょう。オレ自身は認めたくないですが言わば必要悪です。

 

最後に言いますが、お金を稼ぐことが悪ではありませんし、お金はあるに越したことはないのです。そしてお金が無くとも幸せになれるというのは大方キレイゴトであるというのも事実です。そこだけは誤解のなきよう。

ただ、常人の倍以上のお金を持ったとしても人間の闇の部分は消えないこともあるのだなと感じましたね。