金なしじいさんのアーリーギブアップ生活

40前後でアーリーギブアップ生活を送る老後の日記

同じ悩みを抱えているからといって仲良くできるわけではない。

どうもおはようございます。ご自由にどうぞ。

 

この形式で入るのは久し振りな気がしますね。

SNSをやっているとどうしても自分と同じ形式というか、似ている者を探してフォローしたりする傾向にあると思います。例えば毒親育ちであればプロフィールに毒親関連の文言が書いている人をフォローしまくったり、反出生とか無職・ニート、ひきこもり等もまた然りです。

 

そういう人たちと繋がっていくと、最初は仲間が増えた感覚になってすごく精神的に楽になっていくんですよ。ネットが発達していなかったら絶対に繋がることが無くて、確実に孤立しますからね。

 

ですが、最近はそうした同じ悩みや過去を抱えているからといっても、必ずしも良好な関係を築けるとも限らないと思えるようになりました。

その理由の一つが不幸の度合い比べです。例えば毒親に関して言えば、自分は思春期にかけて親から希望の進路をことごとく否定されて潰されて育ってきて、今も自分の意見を言えない人間に育ったと主張したとします。

それに対して、もう一方の毒親育ちの人間が、「そんなのマシな方で毒親とは言えないよ。自分なんか幼少期から暴力を受けてきて本気で殺されるかと思ったことが何回もあったよ。甘えるなよ。」といった感じで、自分よりも不幸の度合いが低い者を否定する傾向が見受けられます。

 

こういった感じで当初は仲間だと思っていた人間から裏切られた感覚に陥ってしまい、現実世界のみならずネットの世界でもまた孤立してしまいます。

 

確かに酷い過去を経験してきて、自分よりも程度が軽い状態の人を見ると一種の妬みみたいな感覚に陥ってしまいますが、そんな不幸の度合い比べをして前向きなことができるでしょうか?

或いはある一定のレベルの不幸度じゃないと仲間に入れてやらないよという暗黙のルールでもあるのでしょうか?結局は現実世界と同じで派閥みたいなもののように思えて仕方がありません。

 

あと、生き辛さを抱えている人達をSNSでよく目にしていていますが、彼らの大半は生きていたくないとか働きたくないといった呟きを発しつつも、それでも人生をやり直したい、まだ諦めたくないという思いが随所で伝わってきます。

人生などやり直したくもないし、もう天寿全う!!というオレから見ると驚きであると同時に、埋めようのない溝に気付いて一種の限界を感じてしまいます。

 

オレのような人間は希少種であるのでしょうが、孤独を受け入れていくことがやはり重要であると思います。