金なしじいさんのアーリーギブアップ生活

40前後でアーリーギブアップ生活を送る老後の日記

生まれた時点で…

どうもこんにちは。久方ぶりに長文になりますし、怒り、呆れられるでしょうが何卒ご了承下さいませ。

 

今まで何度も同じことを書いたかわかりませんし、重複する内容ではありますがオレの人生は生まれた時点で終わっていたと思えるようになってきました。こんなことはあり得ないでしょうが、本当はお腹の中にいる時から生まれてきたくなかったのではないかと思ってしまうくらいに。

 

親の話だと手のかからない子どもだったということですが、幼少期は結構多動で生意気でワガママ極まりない性格と言動で度々激怒された記憶があります。しつけと言われればそれまでなのでしょうが、それで完全に叩き潰されてしまったのもまた事実です。オレみたいなのは迷惑をかけるなら出ていけ!と隔離するくらいしかしつけることはできないのでしょうね。

 

それとは別に物心ついた時から好奇心というものが無く、物事も続かずにただボーっと妄想ばかりしていたように思えます。あとは汚物に平気で触ったり、ここでは書けないような奇行もそれなりにあったと思います。あの当時に現代の医師がいたら何らかの障害名を与えられていたのかもしれません。

 

生まれ持った資質と幼少期のしつけと生来の生きる気力のなさで学校でもほぼ一人ぼっちの状態が続き、小学校、中学校くらいまではまだ何人かは遊んでくれる人がいたと記憶しておりますが、高校くらいからは全く相手にされなくなり、殆ど図書館に行っていた記憶しかありません。こんなだったら通信制高校とかに入学した方が余程良かったでしょう。

 

その後は自分の進みたかった道があったものの、それを否定されて泣く泣く進路変更してしまい、それも上手くいかないというアホな結果に終わってしまいました。あの時の親の対応には今も恨みは残っていますが、当時のオレの情けなさにも救いようがないと思っております。今のスペックであの頃に戻れたら確実に高校卒業と同時にホームレス覚悟で家出して、20代で生涯を終えていたでしょう。

 

結局ニートになることも許されなかったので、それを回避する為に別の専門学校を受験して入学することになりました。何せどこの大学にも入れる学力が無かったものですから単位を取るのにも苦労していました。課題をこなすのが相当キツくて何度辞めたいと思い、その都度心の中に留めていたことやら。

唯一良かったと思えるのは、その苦難の専門学校時代の最後に卒業課題を乗り越えた時くらいでしょうか。あくまでもオレの中での苦労ですが、それが報われて解放された時は本当に嬉しかったし、楽しかったです。おそらくその時くらいしか希死念慮が薄まっていなかったと思いますし、オレの人生のピークだったのでしょう。

 

しかしながらその後に就職した時にピークは瓦解しました。希望した職種とは全く違う部署に配置されて意欲を失ったのに加えて、その愚痴を親にこぼしたら列火の如く怒られて「三年は我慢しろ!」、「石の上にも三年だ!」などと言われました。それで辞めたいという思いを吐き出す相手もおらず、辞めてニートになる度胸もなかったオレは辞めるということを諦めてひたすら我慢する道を選びました。年老いたオレからすれば何やってるんだオレ!と当時の自分をぶん殴りにいきたいくらいです。

 

その後は事ある度に親から「三年は我慢しろ」、「とにかく辞めるな」、「辞めてもいいが次の就職先を見つけてから辞めろ」とひたすら連呼されてきました。当時勤めていた会社での仕事でも潰れていましたが、むしろ親からの過干渉や圧力の方がダメージが大きかったと思います。これを読んでいる方からすれば、「こんな親の元で生活しているお前が悪い!とっとと自立すればいいじゃないか!?」という指摘があるかと思います。

今のオレならば納得できますが、当時のオレの状況からするとそれすらできないくらい壊れていたのですよ。その点はご了承頂きたいです。

 

その後とある事情から転職することになりましたが、そこでもオレの能力、努力不足によって上手くいかずにクビになってしまうという何とも情けない結果に終わりました。

本来ならばその後は貯金を使ってゆっくりしていたかった(むしろ貯金の分だけ生きたかった)のですが、親元を離れる度胸もなく、それに加えて親からの働けという圧力にも勝てなかったので職業訓練を経て再就職して現在に至るというわけです。

 

ここまで一部割愛しながら書いてきましたが、情けないを通り越して笑えるレベルです。オレが会社の採用担当でしたら確実の書類選考の時点で落としますよ。それか、面接をしても怒りを通り越して失笑して不採用通告するでしょう。

 

こんな今までのオレの人生ですが、我ながらよくここまで長期のひきこもりやニートにもならず、そして刑務所にも入ることもなく生きながらえたのは奇跡であると自画自賛したいです。他の人達は絶対に認めてくれませんがね。

それでも長生きという大きなミスを犯してしまったのは否めません。もっと早くに覚悟を決めていればここまで惨めな思いをすることも苦しむこともなかったでしょうし、コロナ禍という泣きっ面にハチの状態を見ずに済みましたし。これからどんどん追い打ちをかけられることは必定でしょう。

 

最後に、情けないを通り越したオレにこう言ってやります。

「とっくの昔にゴールテープを切ったのに走り続けて本当にお疲れさまでした。もうFAですよ。」

誰もこんなセリフを吐いてくれないので、オレが勝手に吐いてやってシメと致します。